No.1

また,槇原敬之の話。
友達と会った時の話。

Mass:「『No.1にならなくていい~♪』て歌作ってるけど,やつは『No.1』って曲作ってんじゃん!」
friend:「それなんだけど,以前インタビューで同じ突っ込みされててそのときの回答がさ・・・」

もう,歌ってないそうだ,No.1。
理由は「考え方が変わったから」らしい。
確かにそれはそれで,スジが通ってる気もする。
でも,いいのか,それで?
歌は歌として歌い続けてもいいのでは?
友達が言うには,「自分が経験してきた中で,一番素敵な恋をしようっていう目標を立てる歌なんだから,他人と比較しているわけじゃないし,「世界に~」で言ってることとは矛盾しないのでは?」とのこと。

確かに,アーティストが今までの作品を否定して,新しいものを生むことはある。
例えば,ジョルジオ・デ・キリコとかは年をとってから今までの作品(シュールレアリスム)を全て否定し,作風を変えた(宗教系のもの)そうだ。
#今はドトールで書いてるから,記憶のみで事実関係は怪しいけど・・・。

でも,キリコの作品は,絵画(および彫刻)なので,やつがいくら否定しようともわれわれは,その作品を見ることが出来る。
だけど,No.1は歌なのだ。本人が歌わなければもう聞けないのだ。
もちろんCD等の記録物は存在するけど,それは俺のイメージでは本に載っている絵と同じ「リアルに準ずる」ものなのだ。
#やっぱ本質はライブでしょ!

作品を作った以上,歌わないことはあっても封印するのはやめてほしい。
「その歌」を知ってしまい,「その歌」を好きになってしまった人のために。
アーティストとしての責務じゃないかなぁ。

朝から熱いな,俺。
学校行ってきます。

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